たとえば趣味で育てているサボテンについて。屋内の日当たりの良いスペースは広くはないので、お気に入りだけを並べて大事に育てている。そこから溢れたものは外へ。このお気に入りとは、希少だったり高価だったりと、基準が明快だ。限られたスペースやリソースを分配する〔時〕、持ち主である自分のサジ加減でコントロールしていく。それはサボテンに対してだけではなく、持ち物を整理する〔時〕や絵を描く〔時〕にもおこなわれる。〔時〕折その行為が後ろめたくなることもあるが、人間社会もそうやってコントロールされていると思う〔時〕もある。資本主義の中でアカデミックな立場から多様性を語ることはきれいごとのような気がする。自分は美術大学に行き、そこで「芸術家は苦しみの中から学ぶべきだ」という観念に囚われて制作をしていた節があった。でも制作ができる環境というものがこの社会において果たして苦しみなのだろうか。入学試験という「ふるい」にかけられて、残れなかった側の人たちの視点について考えたことはあっただろうか。教育を受ければ受けるほど、職業の選択肢は増えていくという通念がある。私にとって自身の生活や身体感覚において縁遠い象徴として、ブルーカラーワークがあって、大学を出てからはそういった仕事をメインにおこなっている。そして意識的にブルーカラーワークに臨めば臨むほど、労働の〔時〕間に虚無感を覚えるくらいに制作の〔時〕間の尊さを感じさせてくれる。制作の強度を高められる気がして始めた労働だが、制作の〔時〕間を削る足枷であると感じる〔時〕もある。でも生活のためには労働から恩恵を受けているし、労働が社会の役に立っていることも事実だ。そうした悶々すべてがきっと制作の糧になる、と騙し騙し日々を過ごしていたら、あらゆる事物に対して扱いが雑になってしまった気がする。そしてお気に入りだったはずの壁掛け〔時〕計をうっかり壊してしまって後悔し、"ワーク・ライフ・バランス"ってなんだっけ、と不意に考えたりする。そのような雑多な感情から抜け出すためにも、労働をしている〔時〕は労働のことだけ考えようと努めてはいるが、冷凍倉庫の中で機械のオイル交換をしていたら、油絵に専念したい気持ちが湧いてきてしまうくらいには制作を求めている。私はただゆっくり上がって来るオイルゲージをじりじり見つめ寒さに耐えるだけだ。誰からも求められてはいない勝手に始めた労働と制作の体力テスト、その反復横とびは何〔時〕まで続けられるだろうか。 室井悠輔
室井悠輔 1990年 群馬県生まれ 2015年 東京藝術大学 先端芸術表現科 卒業 2019年 東京藝術大学 グローバルアートプラクティス専攻 修了 2026年 茨城県を拠点に制作 《おもな個展》 2025年 「時ミーム」東葛西1-11-6 A倉庫、東京 2024年 「終末fa~」Token Art Center 東京 2023年 「ムーギンカート」Tokyo Arts and Space Hongo 東京 2022年 「Bサイ教育」Open Letter 東京 2021年 「こどもおとなクリニック」2x2x2 by imlabor 東京 2019年 「KEN&Peace」HIGURE17-15cas 東京 Link ▼ Instagram 作家ウェブサイト