「油断一秒 怪我一生」 この二つ並べられた熟語は、危険な作業のある現場などで安全を呼びかける標語となっている。とはいえ、若干ノスタルジックをにじませる化石的ワードになりつつあり、その注意は心に刺さらなくなってしまっているかもしれない。 さて一方この言葉を華語話者が見たらどうだろう。「油を一瞬でも切らしたら、私を一生責めろ」という、圧の強い自己責任ワードになる。「怪我(injury)」という一つの言葉ではなく、「怪(blame)」「我(me)」と分解されて読まれるのだ。 何となく目にして、自然と受け取っている言葉が、自分と別の言語を使う人々によって、急に意味がゆらぎ始める。 とてつもない信頼を寄せてた言葉が、いざ外へ出てしまうと頼りないものとなる。どうしようもない時には、身振り手振り、必死に身体で言語を補おうとする。身体表現の延長として、現物を持ち出してきたり、時には絵を描くこともあるだろう。 ちぇんしげの作品の中では、複数の言語を跨いでいるが、使う言語が増えれば増えるほど、それらが線や点の集積に見えてくる。彼の描くマンガ的な油彩は、コントラストが強く、図と地の境界が明瞭にあり、並列して書かれた言葉よりも強く存在を表しているように見える。マンガの登場人物が何かを話した後の言語の余韻が残る間のコマや、見せゴマの誰も一言も発せない空気感がある。 今回の展示の軸となる「一石二鳥」は語源であるイギリスのことわざ「Killing two birds with one stone」の日本語訳となる。「一石二鳥」はおトク感の強い言葉のように感じられるが、元となる言葉には「Kill(殺害する)」という意味が入る。翻訳の中で、文の中から説明的な不穏さが抜け落ちて、数字と象形文字の図的な組み合わせになる。もはや風景画なのかもしれない。この取手という郊外で、実際に鳥を捕る(殺る)訳ではない。ここでの生活で得られる「鳥」とは何か、道具となる「石」とは何か、言葉が新たな図を結ぶだろう。
ちぇんしげ
重穎。1993年台湾台北生まれ。武蔵野美術大学油絵学科を経て、現在は東京藝術大学美術研究科博士後期課程先端芸術表現領域に在籍中。(実はどこにも属したくないが)とりあえずジャパン茨城を拠点にしています。絵画、マンガ、言語を用いて、情報の圧縮、コミュニケーションとディスコミュニケーション、多言語社会、流動的関係性をテーマに一粒で三度美味しい/マルチタスク/multi-competenceへのアプローチを試みています。 Link ▼ Instagram X 作家ウェブサイト